フェイク 第886号
(発行=07.12.31)
大石寺の登山者は昨年より六万人減
登山の強要も既に限界、廃墟と化した売店
一人が平均四〜五回、多い者は十数回も参加
大石寺の今年の添書登山が二十四日に終了、三十日午前十一時からの坊主、寺族、従業員の年末御開扉で全て終わった。宗門筋によると、今年の登山者総数は二十万人を割り、昨年より六万人以上も減少。また平成十年以降、登山者は年々一万人ずつ減り続け、九年前に比べると、約十万人も激減したことが判明した。
平成十年の「十万総登山」、同十四年の「三十万総登山」と銘打った時には、確かに平年よりも多いが、それは約三分の二が「複数回登山」(ダブリ登山)、「引率者」「付き添い」「担架の担ぎ手」、「付け御開扉願い」、それに輸送・整理・介護・案内などの「任務者」で、担架や車椅子に乗せられた重病人やケガ人、騙されて連れてこられた認知症老人、未入信者などを含んだ数であった。
早瀬日如が過日、末寺の坊主に向かって、平成二十一年の登山・結集については「一人に何回も登山させろ!」と大号令。「講員が三百人いたら、一人が五回でも六回でも行って、合計で三百人にするんだ!」と檄を飛ばしていたが、そんなことを今更、言わなくても、各末寺では既に複数回登山を実行していた。
法華講の調べによると、少ない者でも支部登山、虫払、夏期講習会、お会式など年間四〜五回、多い者は十数回も登山、交通費の負担が精一杯で、土産を買う人は少ないという。
学会員が登山していた頃、繁盛していた売店も今では廃墟と化しているが、ここまで大石寺が衰微したのは日顕の狂乱が元凶である。
もともと、登山会は総本山を外護するとの戸田二代会長の赤誠の思いから昭和二十七年十月にスタートした。当時、大石寺は疲弊の極にあり、観光地化にして食いつなぐしか道はないと、市や観光協会との話し合いが進んでいた。
この観光地化を止めさせたのが戸田会長であった。
以来、約四十年間、学会は登山者の無事故・安全のための万全の体制を敷いて運営した。特に、池田三代会長就任後、世界広布の進展と共に、海外からもメンバーが参集して、日蓮正宗史上、空前の世界的規模で累計七千万人にも及ぶ登山者が参詣した。
この大規模な尊い信行の軌跡と歴史を日蓮大聖人が御照覧されていることは絶対に間違いない。
それを日顕は平成三年、事前に学会側には何の相談も、打診もしないまま、たった一片の通知で取りやめを言い渡したのだ。
その影響は甚大で、民宿やホテルなど地元の受けた被害は深刻だったが、特に、輸送機関は大打撃をうけた。
JRは既に年間ダイヤを組んでいたし、沖縄、九州、四国からの登山会専用船舶を約三十億円かけて建造したばかりだった。そして登山会関連バス会社の副社長が、社員の解雇問題などに追われるなか「皆様に迷惑をかける」と、自殺した哀しい出来事も記憶に新しい。
迷惑をかけた張本人の日顕は反省どころか、都内一等地の豪邸に棲みつき、贅沢三昧の日々を過ごしている。こんなことが許されるはずがない。境内の桜や松の木が枯れ、昨年は「逆さ杉」に落雷した(本紙 第七五一号に詳述)。平成二十一年の結集・登山では諸天の怒りが爆発するに違いない。
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フェイク 第887号
(発行=08.01.03)
日顕の愚策、日如の無策に不満の声
減る一方の参詣者、増え続ける“浪人坊主"
大石寺が桜を伐採して造った駐車場は無用の長物
元旦、各地の神社仏閣は初詣の人々で賑わいを見せ、特に、学会の全国の会館には歓喜と希望に燃えて一年間の無事と勝利を祈る人々で大盛況だった。これとは対照的に参詣者が少なく、陰々滅々、閑散としていたのが日顕宗の寺だった。
なかでも大石寺では午前二時半から客殿で元朝勤行が日如の導師で行われたが、参加者は山内塔中の坊主や所化小僧ら二百人、それに近隣の法華講などで、昨年より五百人も少なく、重苦しい雰囲気に包まれていた。気温は0℃。身も心も冷え冷えとした勤行会であった。
大石寺周辺には大量の桜の木を切り倒して造った大きな駐車場があって全て開放されていたが、使われず、無用の長物であることが分かった。この日、実際に使われた駐車場は売店裏の駐車場の他は三門周辺、常灯ヶ峰だけであった。
また、午前九時からは客殿で唱題行が始った。元朝勤行に参加した後、そのまま大石寺に残って唱題行に参加したこともあってか、居眠りする者が目立った。ところが、バスで来ていた妙観講員は殆んど唱題行に参加しないでサッサと下山していった。
このように登山・参詣者は年々、減少の一途だが、増え続けているのが、入る寺のない浪人坊主だ。
今年一月一日現在の日顕宗の教師(住職の資格がある坊主)は八百六十四人。
このうち寺院、教会、布教所、事務所責任者のいわゆる住職数は六百五人で、昨年度より四人増加しただけだ。これは台湾の彰雲布教所の開設、それに正信会の住職が死亡したことにより善福寺(東京第二布教区)、光徳寺中部布教区)、蓮華寺(大阪布教区)の三ヵ寺が日顕宗に返還されたからである。
一方、在勤教師、本山の無任所教師らは二百五十九人にも増えた。学会が外護していた平成三年の時点での在勤教師らは九十四人で、その比率は全教師の十四・二%にすぎなかったが、今では約三十%にものぼる。
今後も寺が増える見込みはなく、住職になるのは有力坊主の息子達だけである。住職になれない教師が年々増加し、不満が増大して爆発することは間違いない。
それでも日顕の思いつきで造った法教院を維持していくために、得度者を毎年、募集せざるを得ない。平成十年以降も毎年二十人ほど得度させている。
宗門関係者が次ぎのような非難を口にしていた。
「いつまでも住職になれない僧が大勢いる。本山の財政も逼迫しているのに、なぜ、得度者を募集するのか? いま莫大な金を注ぎ込んで進めている総合整備事業で、フードセンター跡地などに仮設住宅を建てている。整備事業が終われば、それは全て無任所の坊さん達の住宅になるようだが、ムダが多すぎる」
こんな宗内の批判も知らない能天気な日如は、元旦早々、御命題を達成しろ、決起大会に集まれ、と叫ぶしか能がないから、最早、救いようがない。
信徒に対し命題だの、誓願だのと無理難題を強要しておきながら「新年の辞」では「誓願が達成できないとしたら、御本尊への祈りと自らの行動がかけているからであります」(大白法一月一日付)と、全ての責任を信徒に押し付けている。
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フェイク 第888号
(発行=08.01.07)
死亡、行方不明、救急車出動など続発
事件・事故が後を絶たない大石寺への登山会
病人、ケガ人を宿坊に放置する残忍な仕打ち
大石寺に登山した法華講員が新年早々、不幸な出来事に遭遇している。一日の元朝勤行に参加した講員が死亡したのをはじめ、三日の初登山の際、急病になった講員を放置し、翌日に救急車で病院に運び込み、また行方不明になった登山者もいて、宗門の「躍進の年」は惨憺たる出発となった。
まず、死亡したのは東京から元朝勤行に参加するため前日の三十一日に登山していた婦人講員。元朝勤行には出たものの、この夜は午前二時の時点で0℃と寒く、冷え込んでいた。
そんな中、強行スケジールで無理をさせたのが死因だといわれている。大石寺なんかへ行かなければ長生きできたものを、なんとも気の毒である。享年七〇歳。御冥福を祈る。合掌。
三日午前十時からは法華講連合会の役員、地方部長、大講頭、講頭、副講頭らが大書院で日如に目通り。ここでは御供養とか折伏についての話のほか、決起大会に向けての準備などを確認しあっていた。しかし、肝心の登山者の面倒をみる体制すらできていないため、行方不明者を出し、病人を放置しておく無責任な運営になったのである。
行方不明になったのは神奈川県から登山していた六〇歳の婦人。何処かで保護されたのか、拉致されたのか、今のところ消息は分からない。また、別の六〇歳の婦人は三日、具合が悪くなって宿坊で横になっていたが、この婦人を医者にも診せず、そのままの状態にしていた。翌日になっても婦人の病状は一向に回復する気配がないため、やっと救急車を呼んで市立病院に搬送したのである。
こんなことは常識では考えられない仕打ちであるが、救急車といえば、平成十三年五月の残酷な出来事が思い起こされる。
それは妙観講(講頭=大草一男)が病人や認知症老人なども無理に大石寺・広布坊に集めて総会を開いた時、川崎市から連れられて来た老婦人(当時八四歳)が境内で転倒して大腿骨を骨折。ところが、激痛に苦しむ老婦人を救急車も呼ばず、一晩、理境坊に放置し、家族への連絡も怠っていた。
このように妙観講総会を含む大石寺の登山会は数々の悲劇を生んでいる。
宗門は信者を集めて供養を取ることしか考えていないから、いろいろな犠牲者が後を絶たないのである。
学会は約四十年間にわたって約七千万人という空前絶後の登山会を完遂した。
その間、現在のような不幸な出来事は皆無であった。
今後、登山会を無事故で運営するため、宗門や連合会は、学会に土下座をして教えを乞うてはどうか?
本来なら、今年の元朝勤行や初登山での死者、病人、行方不明者のことを「慧妙」「大白法」で公表し、登山者に注意を呼びかけるのが筋だが、卑劣な宗門に、そんな常識は期待できない。
たとえば平成十四年二月、奉安堂建設現場で藤枝市内の男性作業員(当時二七歳)が転落。七時間後に脳挫傷のため亡くなったが、大石寺は作業員の入院先へ見舞いにすら行かなかったのだ(本紙三九七号に詳述)。




また同年一月、初登山帰りの講員を乗せたマイクロバスが衝突事故で十五人が負傷したが、宗門の機関紙では報道しなかった。これが日顕宗の体質なのである。


